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【活動体験記:陸前高田市「学びの部屋」第2期B班(2015年7月25日~7月26日)】

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今まで学科の見学会などで被災地を訪れたことがあり,被災地での暮らしの現状をもっと知りたいと思っていた.今回UTVCの学習支援ボランティアという活動を知り,ある程度時間のとれる今のうちに行くべきだと思い,参加を決めた.陸前高田を訪れたのはこの活動が初めてで,被災地で生活されている方と直接お話しするのも今回がほぼ初めての機会だった. 今回学びの部屋に来てくれたのは,就職試験に向けて勉強している高校生だった.朝早くから真面目に問題演習に取り組んでいて,壮絶な被災体験を乗り越え夢に向かって努力している姿には胸を打たれた.休憩後には支援員さんに学校周辺を案内していただき,大規模なかさ上げ(盛土)工事の様子を見たり,「みんなの家」で被災地のために活動されている方々とお会いしたりすることができた. この二日間の活動で最も心に残ったのは,「(被災者が自分の被災体験について,)一年目は話したくない.二年目になると誰かに聞いてほしくなる.四年経った今は,話したところで…という(諦めの)気持ちになっている」という支援員さんの言葉だった.もちろん被災者の中には辛い体験を思い出したくないという人も多いと思うが,もし誰かに話すことで少しでも気持ちが楽になるのであれば,私たちがこのように学習支援活動を通して東北の人々と交流することは,勉強を教える以上の役割を果たすことができるのではないかと思った.また,私たちも被災地に行って話を聞くだけではなく,そこから自分ができること,すべきことについて各々が考える必要があると実感した.また機会があれば参加したいが,被災地に行ったことのない学生にもぜひ一度参加してほしいと思う. (工学系研究科・修士1年) 被災地に行くのは2回目です。以前は宮城を中心に回ったので、陸前高田に行くのは今回が初めてでした。東北に行くと素敵な出会いがあって東北が大好きなのですが、今回もまた多くの素敵な方にお会いしました。 ただ今回、年下の「彼」―学習支援を行った1人の生徒から聞いた話が、今まで聞いたなかで最も生々しく、辛いものでした。 詳細は書きませんが、「彼」のご家族1人は未だ行方不明だそうです。 ご遺体の安置所をめぐった話、今でも街の写真を見るとご遺体があるのではと思ってしまう話― 「彼」はどこにでもいる普通の生徒。難し

【活動体験記:相馬市「寺子屋」第2期C班(2015年7月18日~19日)】

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私が東日本大震災の被災地を訪れたのは今回が初めてでした。震災直後から私は被災地を恐れていました。それでも今回訪れたのは、大学4年になり、社会人になってしまったら被災地に訪れる機会はおそらくもう二度と訪れないだろうと思ったからです。復興の過程にある被災地を一度でも見ておきたいと考えたからです。 私が今回のボランティアで最も痛感したことは、やってくる生徒たちの学習意欲の高さでした。学習理解度は生徒ごとに異なっていましたが、わざわざやってくる生徒たちは一様に苦手を克服しよう、勉強しようという意識が高いなと驚かされました。「寺子屋」という場所は、相馬市の中学生にとって、学校以外の場所で東大生との学習指導という形を通して、外の世界について知り、将来について考えるきっかけになる活動なのだなと感じました。こういった未来への教育というものも、立派な復興支援活動の一つであるのだなと、この活動の必要性を感じました。 (文学部・4年)

【活動体験記:陸前高田市「学びの部屋」第2期A班(2015年7月11日~7月12日)】

ボランティアというとどのように役に立てるのか、本当に意味があるのかといった難しいことを考えてしまいがちですが、前回の経験から、今回はあまり難しいことを考えず、今はたまに来て話し相手になってくれる大学生くらいの印象でも、いつかふと思い出して、何かプラスの感情に変えていってくれたらいいなという気持ちで参加しました。 「学びの部屋」には4人の中高生が参加してくれました。宿題や受験勉強でわからないところを教えたり、勉強方法のアドバイスをしました。昼食の時間や途中途中で雑談をする時間もあり、普段の学校での様子や夢について話してくれ、気づけば自分も純粋に中高生との会話を楽しんでいました。過去の参加者も書いているように、休憩から勉強へ切り替えるタイミングが難しかったのですが、指導員さんの声かけのおかげで、メリハリつけて勉強できていたように感じます。 今回の活動で実際の現地の声を聞くことの大切さを感じました。活動参加前、遠野市を観光していた際、地元の方に、県外からのボランティアや報道は沿岸南部ばかりだが、同じく被害を受けた沿岸北部の方にも行ってみて欲しいということを言われました。恥ずかしながら私自身、南部の地名は報道で何度も耳にしていましたが、北部の方の被害の大きかった地域の地名は知りませんでした。 また、学びの部屋では支援員さんが現状について話してくれました。震災直後と比べると3分の1の世帯が仮設住宅から出られるなどだいぶ落ち着いてきたとのことでした。一方で、仮設住宅を出て公営住宅に移るためにはある程度の経済力が必要であり抽選で当たっても移れない世帯がいたり、個人で土地を買える世帯から出ていき、震災直後はある意味みんな平等で、力を合わせて頑張ろうという雰囲気があったが、格差が見え始めその雰囲気は薄れてきているということでした。マクロな視点でみると、ベルトコンベアもそろそろ撤去されるなど着実にいい方向に向かっている印象を受けますが、マクロな視点では問題解決でも、ミクロな部分でそう簡単にはいかないことに気づかされました。外からだとどうしてもマクロな部分のみを見てしまうのですが、もっと日常を想像できるようになる必要があると痛感し、現地の声や実際足を運ぶことの大切さを感じました。 (法学部・4年)

【活動体験記:相馬市「寺子屋」第2期B班(2015年7月4日~7月5日)】

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大学生になってから福島や宮城にご縁があり、何度か訪問していて、実際に何か少しでも被災地の役に立てることがあればやってみたい!とはずっと思っていたのですが、何もできずにいたときにちょうど今期のUTVCの「寺子屋」について知り、参加させていただきました。私は先週のA班に続けて今回は2回目の参加でした。 中学生が勉強のことに限らず、自分の好きなことや将来の夢についても沢山熱心に話しかけてくれて嬉しかったです。社会問題などをしっかり勉強しており、積極的に大学生に質問してくれる子もいて、私たちも負けていられないな、と刺激されました。私が中学時代や大学の話、将来について話すと真剣に話を聞いてくれて、中学生が自分の将来について考える時のヒントになればいいな、と思いました。勉強を教えるだけなら、学校や塾の先生などのプロの方の方がノウハウの蓄積や経験も豊富であるため質の高いものを提供できるはずなのに、何故東大生が勉強を教える需要があるのだろうということはずっと疑問で、家庭教師のアルバイトをしながらずっと悩んでいたことでもありました。しかしやはり歳が近いということもあり、そのように身近な存在に感じてもらえることが一番大きいのかな、という一つの答えに辿り着くことができました。これからもボランティアに関して、今の私たちだからこそできること、今の私たちにしかできないことに積極的に取り組んでいきたいと思います。 相馬市教育委員会の方に、1日目の活動の後ご飯や銭湯に連れて行っていただいたのですが、車の中などで震災当時や今の相馬市のことについてのお話を伺うことができ、自分の認識と現地の現実とのギャップに驚きました。福島駅付近でも「除染しています」という看板をいくつか見かけ、相馬市内では仮設住宅や人がほとんどいなくなったまま放置されている海辺の住宅地も見ました。夜なのに明かりが1~2戸しかついておらず、外見では分かりにくいが、実際は津波で一階の部分の中身がごっそりなくなってしまったのだと教えていただきました。また現地での農産物の放射性物質による汚染や被曝の検査結果についての実態、津波に巻き込まれた人の体験談も伺うことができました。 仮設住宅の居住者は減り、海沿いの道路も再建され、少しずつ復旧の進む相馬市。それでもやはり、海辺の住宅地のように、外から見ただけでは分か

【活動体験記:相馬市「寺子屋」第2期A班(2015年6月27~28日)】

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 私は今回初めてこの学習支援ボランティアに参加させていただきました。参加動機としては、震災をうけた東北の復興支援に微力でも携わりたい、東北での復興がどのように行われているか自分の目でみてみたい、というものが主なものです。 1日めは一人あたり6人ほどの中学生を、2日めはほぼ一対一で中学生の勉強をみました。最初に自己紹介と交流の時間が20分ほどあり、それから勉強の時間に移る、という形でした。45分間の勉強を、休憩を挟みつつ3サイクル繰り返したのですが、みんな集中力を切らさず黙々と勉強していて、その熱心さに感心してしまいました。中には部活を休んでまで来てくれている子もいて、期待に応えなければ、と強く感じました。勉強を教える中で、答えや解き方を教えるだけでなく、普段の勉強の仕方のアドバイスや、大学生活についてのことなども話しました。勉強の助けだけでなく、子供たちが自分の将来を考えるきっかけになっていれば、と思います。 相馬市ではこの寺子屋学習支援のほかにも、地域活性化のために様々な学習支援や行事を行っています。今回このようなかたちで関わることができて、とても嬉しく思います。これからもなんらかの形で、復興支援に関わっていきたいです。 (薬学部・3年)

【活動体験記:陸前高田市「学びの部屋」第1期A班(2015年6月6日~6月7日)】

担当の佐藤さん。とてもよい方で、高清水展望台・カッパ淵・山口水車に連れてってくれる。ジンギスカンもごちそうしてくださる。一つ一つの受け答えが非常に丁寧な方で、どんな話をしても穏やかに笑って答えてくれた。また会いたいな。 あきちゃん、あおちゃん、ハヤトくん。会話の部分部分に「仮設」という言葉がでてきてドキッとした。しかもそのお話は面白い話として紹介してくれたのだけど、そのような中でも「あの子が仮設から出てきたときにさ・・・」というように「仮設」という言葉を普通に使用していて、震災後の生活が彼らの日常・普通になっていることに複雑な気持ちになった。 あきちゃんが「家でゲームしてるよりここにいる方が落ち着くよね。」とあおちゃんに聞く。彼らはやっぱり友達と繋がれる楽しい場として学びの部屋を利用しているのかも。 遠野からは車で約1時間15分ほど。陸前高田第一中学校は高台にあり、大きく被災した場所は最初は見られなかったが、校庭にたくさん仮設住宅がたっており、これは現実なんだと実感。実際、本当にここは被災地なの?と思うところがあったが、これは4年も経って復旧が進んだ証拠なのだとおもう。または、「被災地」というイメージや想像でつくられたものを過度に期待しすぎている自分が怖い。というか情けない。愚か。支援員の方に陸前高田市街地だった場所を案内してもらった。市街地は全て流されてしまって、今はベルトコンベアで周辺の山から切り崩した土をはこび、埋め立てている。高さ約15メートルまで盛り、最終的にはそこに道路や街を作る。津波が来たら20メートルは優に超すし、15メートルで大丈夫なのか?という声もあるという。復興まで長い道のりであり、働き口もないため、待つことができず他のところに移住してしまう人が多いという。高田第一中学校(高台にある)のグラウンドは仮設住宅が建てられたため、臨時グラウンドが下の方に。酒屋さんが敷地を貸してくれたらしい。近道だと言ってだいぶ急な山道を登る。支援員の方が何度も「ここは想像力を働かせて想像するしかないんです」という。それだけ震災前後の景色がちがうということなのだと思う。支援員は高橋さんと鳥羽さん。高橋さんによると、一中は新築で2011/3/11の午前中に落成式を行っていた。その午後地震発生。生徒全員が集まっていたためコントロールがきいた。そこ

【活動体験記:相馬市「寺子屋」第1期B班(2015年5月30日~5月31日)】

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2015年5月30日~31日に行われた、相馬市での教育支援ボランティアに参加してきた。今回の活動メンバーは6人、1・2年生が多いのかと思いきや、防災を研究している理系の院生の方が3人いらっしゃるという、自分にとっては意外な結果であった。 自分がこの活動に参加したのは、①2年前に石巻・女川を訪れたきり被災地の現状を見ていなかったため、何らかの形で再訪したいと思っていた。②教育業界でアルバイトをする機会があり、中高生の「学び」のあり方について考えていたところだった。③勉強ばかりで引きこもりと揶揄されるような状態だったので、何か新しい体験をしたかった。といった理由があげられるが、往復の交通費が東大から支給されるということも大きかった。 1日目は相馬市生涯学習会館、2日目はLVMH子どもアートメゾンでの活動だった。教育支援といっても大げさなものではなく、集まった中学生たちからの質問があれば、その部分を解説するというお仕事であった。1日目は30人以上が参加するにぎやかな会、2日目は対照的に参加者が6人で、東大生が一対一で指導する会となった。印象に残った生徒を2人紹介する。 ①看護士志望の卓球ボーイ(1日目) とにかくおしゃべりなこの子。質問をぶつけてくるかと思いきや、「好きなゲーム」「好きなアニメ」「卓球のラケットの性能」などについてたくさん語ってもらってしまった。ただし学力は参加学生の中でもかなり高いほうで、鋭い質問ももらった。自分の専門の知識を生かして「世界史」「国際政治」について噛み砕いて教えたところ、かなり興味を持ってくれて、自分の普段の勉強の意義を感じさえもした。「看護士になるために勉強を頑張らなければ」との言葉をぜひ実行してほしい。 ②KPOP大好きガール(2日目) 1日目の卓球ボーイの同級生。卓球ボーイは学校でもマシンガントークで有名らしく、同級生たちは辟易してしまっているらしい。しかしこの女の子も卓球ボーイに負けず劣らずおしゃべりが大好き。筆箱に韓流アイドルの写真が貼ってあることをつっこむと、BIGBANGや何やらがどんなにかっこいいか、自分はどんなにお金をアイドルにつぎこんでいるかを延々と語ってくれた。一方で、歴史がつまらないという話があったので、世界史の大きな流れを説明してあげたところ、少しは興味を持ってくれたみたいで嬉しかった。