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【活動体験記:相馬市「寺子屋」第4期B班(2015年10月17日~18日)】

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今回、相馬での学習支援ボランティアへの参加を希望したのは、被災地の存在を忘れている自分に気付き、何かできることがしたいと考えたからだ。実は私が復興支援ボランティアの類に参加するのは初めてではない。震災後半年を経た頃に農業支援ボランティアに参加して以来、幾度かボランティアとして被災地を訪れてきた。しかし、学業等で忙しくなったこともあり、次第に足が遠のいていった。ちなみに、時間が経つとボランティアが急減するのは一般的な傾向であるらしい。東日本大震災後 11 か月を経た時点で既にボランティアの大幅な減少を嘆く新聞記事が出ている(日本経済新聞 2012 年 2 月 11 日付朝刊)。とにかく、私はしばらく被災地のことなど忘れ日々の学業等に明け暮れていたわけであるが、 2015 年になって「そういえばボランティアに行かなくなったなあ」ということに気がついた(特に何か具体的なきっかけがあったわけではない)。「震災」や「復興」といったキーワードがあまり流行らなくなるにつれボランティアに行かなくなったというのはなんだか薄情な感じがするので、機会を見つけて復興支援ボランティアがしたいと考えていた折、今回の募集を見つけて参加することとした次第である。 さて、学習支援ボランティアの趣旨は現地の子どもたちの自立的な学習を促し、学力を向上させることで長期的に被災地の復興と発展に資するような人材になってもらうことにあると理解している。そして一般的には学力が高いであろう東大生が学習指導をし、かつ生徒に「東大生」のような具体的目標を与えることに意味があるはずだ。 そこで今回の活動を振り返るに、少なくとも私が担当した生徒たちには平素の学習の方法まで含めて指導をすることができたし、東大生との交流を通じて生徒に「大学」の具体的イメージを持ってもらえたと思う。しかし、いずれについても中途半端になってしまった感は否めない。学習指導については、数学の計算能力や英単語の知識が不十分で日常的学習がうまくいっていないように思える生徒も見受けられた。このような生徒についてはある程度継続的に指導をすることが望ましく、ごく短時間の指導の限界を感じた。また、大学生をロール・モデルとするには交流の時間が少なすぎたように思う。短い時間で交流と学習指導を同時に行おうというのだから仕方ないが、もっと生徒に将来

【活動体験記:相馬市「寺子屋」第4期A班(2015年10月3日~4日)】

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 大熊町の学習支援ボランティアに参加してから一年と少し、相馬市の学習支援ボランティアにも参加することにした。そして、同じ被災地でも状況はかなり異なるという印象を受けた。相馬市においては教える場所は仮設ではなくしっかりとした建物であり、年々生徒 が減っている状況にもない。教えている最中は特に「被災地」であると感じることはなかった。ただ、様々なタイプの子供がいるということに全国どこでも変わりはない。黙々と課題をこなす子、内気だが話しかければ色々と聞いてくれる子、全く集中せず周りにちょっかいを出す子、人懐っこく積極的に質問してくれる子など様々であった。そんな多様性あふれる子供達ではあるけれども素直という点では共通しており、そのおかげもあって最低限の手伝いはできたように思う。聞かれたことには答えてあげられたし、理解のレベルを上げることはできた。ただ、3時間ずつという限られた時間の中で、どれだけの影響を子供達に与えられただろうかという疑問は残った。子供達と盛り上がれる共通の話題が一つでもあればもっと打ち解けられただろうし、教えるにしても子供達に「面白い!」と思わせられるような教え方ができれば良かったとは思う。それでも、自分自身の今後に役立つ経験にはなったし、子供達にとってもいつかこの日のことを思い出してくれる日が来るのではないかと願っている。 (人文社会系・修士1年)

【活動体験記:陸前高田市「学びの部屋」第4期B班(2015年9月26日~9月27日)】

 この UTVC の学習ボランティアの活動があることを知ってから、ずっと東北に行きたいと思っていました。テレビや新聞では分からない被災地の生の姿を自分の目で見てみたかったからです。そしてこの前はじめて、被災地に行くことができました。  まず陸前高田の、がれきはすべて撤去されたものの、かさ上げ用の土がうずたかく積まれている光景は何か日常と離れた異質なもののように思え、「陸前高田の復興はまだまだこれからなんだ」と強く感じました。まだ市役所の位置も決まっておらず、仮設住宅に住んでいる人も多いということでした。  学習支援ボランティアでは、陸上自衛隊を目指している子や、英語と車が大好きで、将来海外で車を販売する仕事につきたいという子、そのほか 3 人の子に会うことができました。生徒は心のどこかで震災の傷跡が残っているはずで、自分はどのように生徒に接するべきか、悩んでいた部分もありました。しかし、私が尋ねると、あるいは自分からも、好きなことや夢について語ってくれました。後で、その自衛隊を目指している子は母親が津波で行方不明になったままであることを知り、そのような状況でも夢を実現しようと頑張っている芯の強さに心打たれました。そして、彼らに寄り添っていくことが一番大事なことなのではないかと思うようになれました。  活動の合間に「みんなの家」というところに行かせていただきました。そこを運営している方から、実際に体育館で避難所生活を運営する際、大変だったことを聞き、リアルな避難所生活について知ることができました。支援する側も、また行政側も、避難所の需要に柔軟に対応することが大事なんだな、と学びました。また、避難所を出た人たちが再び集まれる場所としての「みんなの家」が、著名な建築となったためもあり、運営する方が取材に忙殺されてしまったり、実際に地域のひとが訪れる機能が十分担いきれていなかったり、問題も抱えていることを知りました。また、その運営する方は避難所生活からずっと他の人のために働き詰めであったこと、それに加えて取材への対応、有名になったことに対する周りの方からの心無い声、色々なことが重なって、疲れていらっしゃるように見えました。その人自身はまだ仮設住宅で暮らされているそうで、被災者の方の疲労もそろそろ限界に来ているのではないかと感じました。  この学習ボランティア

【活動体験記:陸前高田市「学びの部屋」第4期A班(2015年9月12日~9月13日)】

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 まだ夏の続く東京と比べ、もう涼しさ感じる東北の地で、高田一中の校庭にはいまだプレハブが立ち並んでいた。しかし、自習室には笑顔で覆われ、憂えを全く見せない子供たち、りりしい青年の顔があった。聞けば、彼らのうちには大きな悲しみと傷を残されているという。慶応の医療系の学生、引率の医師は PTSD を懸念していた。そして、不登校になった生徒の逃げ場としても機能した「学びの部屋」の五年の重みが身に染みる。一本松の背後に広がる台形状の数々の高台。まっさらになって変わろうとする街への住民の希望と不安。まだ復興はなされていない。ところが、地元の敬老会では、突然の来訪者である私たちは歓迎された。また、学びの部屋の学生たちにとって、年の近い私たちは一番の話し相手となるらしく、実際そうであった。まだまだ問題はある。しかしながら、問題意識を持って参加した私が助け助けられた。「リアル」な被災地に入って、私は非常に多くのことを学ぶことができた。こうした機会が与えられたことをありがたく思い、更なる復興を願い、自身でもこれからも復興に協力していきたい。 (文科三類・1年 )  先週末、学習支援ボランティア活動に参加するために陸前高田に 6 ヶ月ぶりに行って参りました。 
 前回、陸前高田を訪れたのはまだ東北の本格的な冬の寒さが残る 2 月末でした。その時は陸前高田スタディツアーという形で、陸前高田の震災時のお話を後方支援をした遠野防災センターや語り部の方から伺い、実際の被害を自分の目で見て、さらに復興の現状を産業面から見ました。 
 今回は、実際に「子どものエンパワメントいわて」が行っている「学びの部屋」に学習支援相談員として中学生の勉強のお手伝いをして参りました。先週末の「学びの部屋」の会場は陸前高田第一中学校でした。 
2011.03.11 は高田一中の新校舎の完成式典の日でもありました。全校生徒がいるところに 1200 人の避難者を迎えることとなりました。陸前高田市の中でも高田一中は、大規模な避難所となりました。 
 新しく、木造で陽光の降り注ぐ設計になっている廊下を通り、図書館まで案内していただきました。図書館の窓から外を見渡すと、そこには元校庭と思われるスペースいっぱいに仮設住宅が並んでいました。 
 今回は、生徒に勉強を教え

【活動体験記:相馬市「寺子屋」第3期B班(2015年9月5日~6日)】

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 被災地ボランティアは何度か経験していたが、相馬には今回初めて入った。もちろん勉強を教えることが最優先ではあったが、避難する住民も多い中、敢えて相馬に残った子供たちが今、何を考えているのかが知りたかった。  彼らはいたって普通の「中学生」だった。熱心に問題集を解き、たまに集中力が切れて時々友達にちょっかいを出すところも。途中で難読漢字クイズを出したら、問題集そっちのけで熱中するところも。変な先入観を抱いていた自分を恥じた。  震災で変わったのは、彼らよりも私たちよそ者なのではという考えが浮かんだ。津波や原発事故など、彼らの背景をあれやこれやと想像して、求められてもいないのに同情する。もちろん彼らが全く悩まされていないことはない。ただ、彼らの本当の姿を見聞きすることなしに、被災地の復興について考えることはできないと感じた。 (公共政策大学院・修士1年)    2日目は、「こどもアート・メゾン」という学習施設に行きました。ここは、ルイ・ヴィトンの協賛で建てられたそうで、普通の塾などとは全く異なり、非常にお洒落で開放感のあるつくりになっていました。学校が始まったばかりだということもあり、中学生は3人少なかったのは、残念でした。こんなに素晴らしい環境で勉強できるのに、利用者が少ないのは、もったいないように感じました。  中学生の勉強について。私の関わった生徒の学校では、宿題の他に、「自学」と称して、ノートの何ページかを何らかの科目の勉強で埋めなければならない、という課題があるようでした。彼女は「勉強は全科目嫌い」と言い放ちつつも、きれいな字と色遣いでノートを埋めていて、やはり勉強熱心なのだなと感じました。また、彼女は自分の好きな某韓流アイドルグループについて、非常に熱く語ってくれました。  そんな彼女も特に、英語が苦手なようらしく、穴埋め問題や和文英訳に苦戦していました。そこで、「英語ができれば○○(某グループ)と話せるよ!」などと、彼女らのモチベーションを上げる?言葉をかけ、さらに英語で手紙を書く問題では、某グループ宛ての手紙に使える表現を教えてみたら、彼女も少し笑顔を見せてくれました。それを見て私たちも手ごたえを感じていました。  今回のボランティアに参加し