投稿

11月, 2015の投稿を表示しています

【活動体験記:陸前高田市「学びの部屋」第5期(2015年10月17日~18日)】

 「学びの部屋」の支援員の方によれば、日曜日はどれだけ生徒がやってくるか読めないとのことで、結果として高田第一中には今回私達のいる間に午前と午後でそれぞれ1人ずつが来たのみであった。ボランティアに参加する側としてはできることが少ないことに対して少し寂しさを感じたが、隣の部屋では女子卓球部の生徒が元気に声を出していたし、その日はちょうどすぐそばでお祭り(?)をやっているようで、他に行く所があってやることがあるのならばいいことだろうと思った。  午前中は数学の課題をやるという生徒がいて、自分は数学に多少強いと思っていたので一緒に解いてみることになった。自分がなにを考えて問題を解いているかを伝えられたら良いな、と思っていたが一朝一夕にできるものではなかったし、また間違ったことを言ってかえって混乱させてしまうことも多く、少し申し訳ない感じで終わってしまったのが心残りであった。継続的に接することができれば私達ができることも増えるかなと思ったが、これは支援員の方にはできても私達には制度的な面も含め現状なかなか難しいことである。そのため、私達が参加することでどのようなことが期待され、そしてできるのか、ということを状況に応じてよく考えることが必要だと強く感じた。機会を見てこうした活動にまた参加したいと思っているが、今回の経験も活かしてより良い活動をしたいと思う。 (薬学系研究科・修士2年) 午前中の高田第一中での学習支援が終了し、午後は第一中と米崎中の二班に別れる。私たちは車に乗り込み、米崎中へ移動。車窓の外からは瓦礫を撤去した後の更地と、つい最近まで遠くの山を削った土を運んでいたベルトコンベアが見える。高台造成が終了し、現在解体が行われている最中だ。「想像力を働かせないと前の町並みはわからない」―ほんの 10 分程度の道程の中、高田第一中の支援員の方の言葉がずっと響いていた。  翻って、教室は普段通りの日常が広がっていた。女の子が数Ⅰ A の問題に悪戦苦闘しているのも、男の子同士が勉強しつつちょっかいを出し合っているのも。彼らが日常を既に取り戻したのか、それともそう振る舞えるくらいに気丈なのかは分からない。ともすると、教室の外には荒涼とした風景が広がっていることさえ忘れかねない 。それくらい、教室の時間はゆっくりと流れていた。 ただ少なくとも、一瞬でも彼らが普通の

【活動体験記:相馬市「寺子屋」第5期A班(2015年11月7日~8日)】

イメージ
私は、「福島の中学生が自らの将来を考えるに際して、少しでも自分が役に立つことができたら」という思いで今回の学習支援ボランティアに臨んだ。実際に勉強の質問に答えたり、難しい問題の解説をする合間に、中学生に将来の夢はあるかを聞いて回った。ある小さな女の子が小児科の医者を目指していたり、動物好きな中学2年生が看護師になりたいと行っていたり、なでしこジャパンに入りたいと語るショートヘアの女の子がいたり、また命をかけてまで自らの正義を貫き通す警察官になりたいと、ぼんやりと将来を描くのではなく、具体的にその職業に就いてどのような生き方をしたいかを語りかけてくれた中学生がいた。将来の夢に関する会話をする中で、彼らが少しでも将来の可能性を狭めてしまうような考えを持っていたらそれに対して自らの経験を話したり、また彼らの将来の夢を実現するために今行っている勉強がどれだけ大切かを伝えるようにした。 2日間の学習支援ボランティアは、私自身にとっては福島の中学生に勉強を教え、また彼らと会話することで、どのような趣味を持っているのか、どのような将来を描いているのか、どのような悩みを抱えて生きているのかなどを垣間みることができ、有意義であった。一方で、彼ら中学生にとって私たちが学習支援を行うことでどのような意義があるのか、少し疑問に思った。淡々と宿題を解く中学生に対して、大学生側が教えるべきことをひねり出すことが多く、質問を受けることが少なかったため、学習面で私たちが伝えられることが少ないように感じ、学習支援よりワークショップや座談会などを通じて将来や私たちの大学生の経験談を話すほうがより「東大生」が福島に行く意義が増すのではないかと感じた。また、その意義を増すためにも、ある程度同じ学生が継続的にボランティアに参加して生徒との関係を構築する必要もあるのかなと感じた。 (法学部・3年)