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【活動体験記:相馬市「寺子屋」第6期C班(2016年1月16日~17日)】

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 学部卒業後の進路選択を考える中で教育格差への問題意識が高まり、初めてでも気軽に参加しやすいこの企画へ参加しました。相馬市を訪れてみると、建物などの外観上は既に復興している様子でした。一方で、地元紙の「福島民報」は一面から中盤までの9割方が原発事故関連記事であり、あらゆる面において県民は未だ原発事故の強い影響下で生活せざるを得ないことが見てとれました。  寺子屋の指導においては、あまりやる気が出ない生徒に対してどのように働きかけるかが一番の課題でした。勉強への姿勢として、最終的にはこれをできるようにしてあるいは覚え込んで自分の道具にしなければならないという覚悟や諦めがないと、宿題として出されたから仕方なく答えを写すという姿勢に陥りがちで、非常にもったいなく思いました。そしてその姿勢に変化をもたらす働きかけを自分がいまいちできず、歯がゆく思いました。また、私自身が今まで享受してきた教育に満足していることもあって、「もっと勉強すれば違う世界が見えるよ、将来の選択肢が広がるよ。」と伝えたくなる一方、中学生や他の参加者と話すうち、「選択肢が多ければ多いほど良い」という価値観は絶対的なものではないとも感じました。東大には、良くも悪くもこの価値観をひとえに信じて突き進んできた人や、手にした沢山の選択肢の中から選びあぐねて苦しんでいる人が非常に多いため、つい当然の前提として捉えてしまっていたようです。  今後私自身は、働いていく中で地方の中高生の教育機会についてどのような働きかけができるかを考え続けていこうと思います。そしてこの事業については、受け入れ先の中学生や地元の中学校の先生方の要望をもっと引き出す形で継続していってほしいと願っています。 (法学部・4年)

【活動体験記:大熊町学習支援活動(2015年8月16日〜8月21日)】

今回、はじめてボランティア活動と呼ばれるものに参加した私を会津若松市で迎えてくれたのは、震災という影を微塵も見せない大熊中学校の生徒たちでした。彼らの学び舎が仮校舎であるということを除けば、学校にいる時の生徒の姿は、ふざけ、笑い合い、そして学習もする、普通の子供たちの学校生活を私に見せてくれました。だからこそ、私は初めての活動に対しても自然体で取り組めたのだと、改めて感じます。 もちろん、参加してくれた生徒の中には中学三年生の生徒もいたわけで、彼らは受験勉強に力を注いでいました(それでも、鬼気迫る雰囲気で学習をしていたわけではなく、むしろ私が、受験を控えているのに大丈夫なのか、と思うほどにのびのびと学習していたわけですが、それでも私は、のびのびと学習をしていた彼らの雰囲気に居心地の良さを感じていましたが)。そうした、いわば受験生に夕方以降の予定を伺ってみると、ほとんどの生徒が「これから塾に行く」と言うのです。表情には出しませんでしたが、私は驚きました。そして、同時に恥ずかしさも感じました。彼らの多くは仮設住宅に住み、仮校舎で学習をおこない、日々の生活の設備も満足できるほどに揃っていないのだから、塾などの様々な面で負担がかかる活動はできないのではないか、という考えを、いつの間にか抱いてしまっていたことに気付いたのです。 その日の活動を終えた夜、私はこの活動の意義を考え直してみることにしました。大熊中学校の先生たちは、夏休みという期間でもほとんどの先生が出勤しており、学習支援活動の様子も見に来てくださいました。そして、学校外にも、彼ら生徒たちに勉強を教える塾の講師の方々がいるとするならば、私は何をすればいいのだろう、と考えたのです。ボランティア活動は不必要だ、という考えは思い浮かびませんでしたが、それを肯定する理由もすぐには思いつかない状態でした。 しかし、一つだけ、確信に近いものを見出しました。震災から四年も経ったいまでは『何かをしなければならない』型のボランティア活動はもはや終わったのだ、ということです。私たちが行かなくても、彼らには学習に必要な環境が整いつつあります。では、私たちだからこそできることは何だろうか。月並みな言葉ですが、大学生のおこなうボランティア活動のあり方というものを、見つめなおす時期が来ているのではないかと思うのです。