【活動体験記:大熊町学習支援活動(2015年8月16日〜8月21日)】

今回、はじめてボランティア活動と呼ばれるものに参加した私を会津若松市で迎えてくれたのは、震災という影を微塵も見せない大熊中学校の生徒たちでした。彼らの学び舎が仮校舎であるということを除けば、学校にいる時の生徒の姿は、ふざけ、笑い合い、そして学習もする、普通の子供たちの学校生活を私に見せてくれました。だからこそ、私は初めての活動に対しても自然体で取り組めたのだと、改めて感じます。


もちろん、参加してくれた生徒の中には中学三年生の生徒もいたわけで、彼らは受験勉強に力を注いでいました(それでも、鬼気迫る雰囲気で学習をしていたわけではなく、むしろ私が、受験を控えているのに大丈夫なのか、と思うほどにのびのびと学習していたわけですが、それでも私は、のびのびと学習をしていた彼らの雰囲気に居心地の良さを感じていましたが)。そうした、いわば受験生に夕方以降の予定を伺ってみると、ほとんどの生徒が「これから塾に行く」と言うのです。表情には出しませんでしたが、私は驚きました。そして、同時に恥ずかしさも感じました。彼らの多くは仮設住宅に住み、仮校舎で学習をおこない、日々の生活の設備も満足できるほどに揃っていないのだから、塾などの様々な面で負担がかかる活動はできないのではないか、という考えを、いつの間にか抱いてしまっていたことに気付いたのです。

その日の活動を終えた夜、私はこの活動の意義を考え直してみることにしました。大熊中学校の先生たちは、夏休みという期間でもほとんどの先生が出勤しており、学習支援活動の様子も見に来てくださいました。そして、学校外にも、彼ら生徒たちに勉強を教える塾の講師の方々がいるとするならば、私は何をすればいいのだろう、と考えたのです。ボランティア活動は不必要だ、という考えは思い浮かびませんでしたが、それを肯定する理由もすぐには思いつかない状態でした。

しかし、一つだけ、確信に近いものを見出しました。震災から四年も経ったいまでは『何かをしなければならない』型のボランティア活動はもはや終わったのだ、ということです。私たちが行かなくても、彼らには学習に必要な環境が整いつつあります。では、私たちだからこそできることは何だろうか。月並みな言葉ですが、大学生のおこなうボランティア活動のあり方というものを、見つめなおす時期が来ているのではないかと思うのです。

(総合文化研究科・博士1年)


僕は春もこの大熊町の学習支援ボランティアに参加したのだが、何よりも嬉しかった事は、子供達が僕の事を覚えていてくれた事だ。
僕の事を何もフィルターをかけずに受け入れてくれているように感じ、とても嬉しかった。同じ仲間みたいな感覚と言った方が良いかもしれない。

このボランティアに行こうと決めた最初のきっかけは、大震災、そして原発事故で、被害にあって辛い思いをした、福島出身の友達の話を聞いたからだ。
今まで頭で分かっていても、人とのコミニュケーションが怖く行動出来なかった僕は、その友達のおかげで、自分が出来ることは何かないか、出来る事があれば何かしてあげたい、という思いを行動に移さなければと強く感じ、このボランティアに参加した。

でも改めて夏に行って思ったのは、そういった「してあげたい」なんていう思いを、全て忘れさせてくれるくらい、子供たちとの交流が春と変わらず楽しく、素晴らしかったということだ。

初めはお互い緊張してぎこちなかったけど、日が経つごとに子供達は僕達に心を開いてくれ、ある子は僕らと一緒に勉強し、ある子は僕らに自分の好きな事を一生懸命話し、ある子は勉強お構いなしに遊びで僕らに本気で向かってくる。まるで自分たちの仲間であるかのように。
その事は、僕らが東大生だから、とか東京に住んでいるから、とかいうフィルターで見られているのではなく、彼らが一人の人間として僕らに向き合ってくれているんだ、という感じがして、ものすごく心地がよかった。

確かに福島の人達は被災によって僕達の想像を超える辛い思いをしてきたかもしれない。でも自分自身は、「被災した子供たち」なんてフィルター「だけ」をかけて見る事は絶対にしたくない、目の前にいるその子たちの姿を大切にしたい、と強く感じた。
そして、大熊中学校の子供達はみんな、そんなフィルターを忘れさせてくれるくらい魅力的で、個性あふれる子供達だ。そして、そんな素晴らしい人達に出会えた僕は、幸せ者だと思う。
またいつか、成長した大熊中学校のみんなに会いたい。


(理学部・4年)

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