被災地スタディツアー参加体験談

UT-VCメンバーが東北大学主催のスタディツアーに参加し福島県を訪れたので、そのときの体験談を掲載いたします。

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4/26(土)、4/27(日)と東北大学主催の福島ツアーに参加してきました。

26日。
午後からの活動に合流しました。

午前は移動保育。
放射線量の高い地域では子供が遊べないので、線量の低いところで子供を遊ばせる活動のお手伝いを行ったようです{*1}

午後は、郡山市内の「富岡町おだがさまセンター」で、福島県富岡町から避難されている現地の人のお話を聞きました。

現地の人の話の前に、東北大学の先生が一言。
「震災時、中学3年生で卒業した人が、ちょうど今大学1年生で、今日も数名来ています…」
まず、この言葉に衝撃を受けました。
震災から3年が経過している訳なんですが、この3年という時の長さ、重みを感じました。

小学生が高校生になり、中学生は大学生になる。

3年というのはそういう時間なんですよね。

現地の人からは、富岡町から河内村へ、河内村から郡山市のビックパレットへ、という避難の様子、それから、ビックパレットでの避難所生活、そして、仮設住宅に移ってからと、今後のこと、を主にして話して頂きました。

ただ「逃げろ」という指令のもと、原子力発電所の事故のことは知らず、訳も分からず、最初河内村へ避難した話、郡山市のビックパレットにて、草むしり、ラジオ、足湯などを通して、避難所生活をされていた人たちに交流や笑いが出始めたときの話、そして、
1年目は「富岡に帰りたい」などの生理的欲求、
2年目は「みんなが幸せに」などの所属と愛の欲求、
3年目は「ハワイに行きたい」などの自己実現の欲求へと時間が経つごとに変化する町民の心理状況を、マズローの自己実現理論{*2} に照らし合わせての説明が印象的でした。

最後にお話をして頂いた方は、「帰りたいが、果たして帰れるのか?恐らく無理だろうと諦めてしまう気持ちもあります」とおっしゃっていました。
もう、言葉が出ませんでした。
何か役に立てることは無いのか?と思っても、どうしようもない現実がそこにある。
問題の奥深さを改めて実感させられました。

その後はバスで郡山市少年湖畔の村{*3} に移動し、宿泊しました。

翌27日。
午前は福島富岡町の居住制限区域を視察しました。
バス移動の途中で、緑のシートに覆われた除染の土の集まりを見たりJR富岡駅でバスを降りて、駅周辺の状況を見たり。
瓦礫はないものの、壊れたままの建物がたくさん。
線路は草木で一杯。
震災の時間で止まっている時計も。
3年は経ったものの、復興への道のりの険しさに胸が痛みました。



午後はいわき市内の仮設住宅での足湯ボランティア活動。

好間応急仮設住宅へ行く組と、泉玉露応急仮設住宅へ行く組の2グループに別れました。
私は泉玉露の方へ。
足湯とは、その名の通りで、お湯を張ったタライに足を入れてもらい、手などをマッサージしながらお話しをします。
初めての経験でしたが、何とも言えない良い雰囲気で、こちらもリラックスできました。
集会場はたくさんの人で賑わっていました。
足湯以外には、子供たちも数人いたので、外でドッチボールなどして遊びました。
また、東北大学落語研究会の学生が今回のツアーに参加していた関係で、寄席を最後の30分で行いました。こちらも大盛況でした。


こうして無事、2日間の活動を終えました。

個人的には、原発事故による被害や現地の人の声を知ることができ、大変勉強になりました。
それと同時に、今後に残されている課題の多さに気が付き、だからと言って、私一人では何もできないという無力さも感じました。
自治体でも、町民でもない第3者である私は何をすべきか、深く考えさせられました。
「行って分かることがたくさんある、行ってみて良かった」というのが、今回、一番強く実感したことでした。

無理を言ってツアーに混ぜて頂いた、東北大学の皆様、
初対面ながら、親切に接して下さった日本大学の皆様、
そして、色々と教えて下さった、富岡町、町民の皆様、
2日間大変にお世話になりました。

また機会があれば、ぜひ伺わせて下さい。


本当にありがとうございました!

{*1}NPO法人「移動保育プロジェクトPokcare」
{*2}自己実現理論とは
{*3}http://www.kanko-koriyama.gr.jp/tourism/detail2-0-61.html

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