【活動体験記紹介③:陸前高田市「学びの部屋」学習支援ボランティア  28年度実施】

こんにちは、UTVC(東京大学復興ボランティア会議)です!

前々回から、28年度実施の活動に参加して下さった方々の活動体験記の一部をご紹介しています。
第3弾の今回は、『陸前高田市「学びの部屋」』学習支援ボランティアの参加者の活動体験記をご紹介します!

・UTVCのボランティアってどんな感じ?
・聞いたことがあって、今年度参加してみたい!
・参加したことはあるけど違う地域の活動はどんな感じなのだろう?
という方は、是非、読んで頂けると嬉しいです!

第三回~陸前高田市「学びの部屋」学習支援ボランティア編~

【活動体験記①:陸前高田市「学びの部屋」第3期A班(9月6日~9日)】
 今回の陸前高田市での「学びの部屋」学習支援ボランティアでは参加者は3つの学校に別れて活動した。私が伺った学校は広田小学校といい広田半島にある。この半島は震災の時に半島の付け根の両側から津波が押し寄せ陸の孤島となった場所だ。今でも校舎の目の前、おそらく校庭だったであろう場所に仮設住宅が整然と並んでいる。訪れたのが夜だったためか人影は見えず静かだったが、明かりが灯っていてこれまでメディアを通してしか見たことのなかった生活が確かにそこにあった。5年半が経った今、人々はもうその暮らしに慣れてしまったのだろうか。
 広田小での「学びの部屋」は3つの学校のうち最も小規模で、来た中学生は1人か2人だった。集まる子たちの勉強のサポートをするというのが我々の主たる役割なのであるが、必ずしも勉強をすることだけが彼らの目的ではなく東京から来た大学生と話をするということを楽しみにしてくれている子もいるようだった。一方私の方も、彼らの勉強をサポートするという役割は果たしつつそれを通して彼らと交流することも大切にしようと考えてこのプログラムに参加していた。というのも、被災地や復興についてはテレビや新聞で見聞きして話としては知っていても、どこか自分にとって「流れてくるニュース」の域を出ないという感覚があったからだ。実際に現地に滞在し、住む人と話すと、そこが身近に感じられるようになり、その後も折に触れて自然と思いを馳せるようになるものだ。
 私の担当した中学3年生の子は目前の試験に向けてこなさねばならない英語の勉強に飽きると、大好きな歴史や城、鉱物の話をしてくれた。家にあった石はほとんど津波で流されてしまったがお気に入りの赤くてきれいな石は流されなかったという。今は大切に自分の部屋に飾っているそうだ。
 実は今回は9月の平日ということで中高生は学校があるため学習支援ボランティアは夜のみだった。そこで我々には震災や津波について語り部さんの話を聞いたり震災関連の施設を訪れたりする機会もあった。(UTVCがその機会を提供してくださった。ありがとうございます。)被災された方が目の前で話す話というのはやはりメディアを通したものとは全く違った。しかも自分たちに向けて直接語ってくださるのである。内容はもちろんだが、途中表情や目に表れる何かがとても印象的であった。また実際に陸前高田の地面に立ち、震災遺構に書かれた「14.5M」や「15.1M」といった表示を見上げた時の感覚は忘れられない。まず思ったのは自分の立つこの場所は海の底だということだった。数字は聞いたことがあっても、津波でぼろぼろになった建物の前に立ち15mの高さを見上げ当時を想像して初めてその恐ろしさが(それは津波の経験者からすればほんのわずかなものに違いないが)本当に感じられる。
 ところで、震災遺構が残る平地に立って津波のことを考えていても、大津波がやってきたはずの海は見えない。10mを超える堤防が建設されているからである。山に目を向けると木々の緑に混じって一部傷口のように山肌が露わになっている。高台の範囲を以前よりも海側に広げるために山を崩して土砂を運び地面のかさ上げを行っているからである。その大規模な工事は大変なもので土砂の搬出にベルトコンベアーを使うなど工夫を重ねることで実現されているらしい。ベルトコンベアーが気仙川を渡る吊橋の部分には「希望のかけ橋」という名前が付けられているそうだ。陸前高田を走る車は2台に1台ぐらいが「被災市街地復興整備事業」という垂れ幕をナンバープレートの上に掲げた工事車両だった。
 違和感を覚えるのは私だけではないだろう。海を見えなくしてしまっていいのだろうか。本当にあれは希望のかけ橋なのだろうか。
 牡蠣の養殖など海との密なつながりは続いているそうだが、これまで海と向き合い昔から幾度となく津波に襲われてきた町の日常の景色から海が消えてしまっているのは事実だ。本当は目の前にあるのにもかかわらずである。
 大きな堤防やかさ上げされた地面があれば多少大きな津波が来ても多くの命が助かるだろう。一人でも多くの人が無事であってほしいと思う。しかし、同時に、方法は巨大堤防や地面のかさ上げ以外にはないのだろうかという疑問も生じるのだ。なぜなら長期的に考えた時、本当にああいうやり方でいいのだろうかと思うからだ。自然を人の力で押さえ込むようなやり方ではない道はどのくらい検討されたのだろうか。人間の力を過信して自然から目をそらしてきた今までの時代の発想と本質的に何も変わらないのではないか。自然に対するそういう態度は見直され、時代が変わっていくのではなかったか。
 被災していない人間がちょっと被災地を訪れただけで何を言っているんだと言われるかもしれない。また実際に被災された方の中にも巨大堤防やかさ上げ工事は必要だと考える方もいらっしゃると思う。しかし「あれ? 海は?」という感覚はおそらく訪れた多くの人が一瞬は抱くに違いない。この逆説は無視していいものではない気がするのである。誤解を恐れずそれを敢えて言葉に起こすべきだと思ったので最後に簡単に記した。
 簡単ではあるが字数制限もあるのでこのあたりで体験記を終えようと思う。陸前高田の町により一層活気が取り戻されることを願いつつ。

(理学部・4年)

【活動体験記②:陸前高田市「学びの部屋」第8期B班(2月14日~17日)】
 東北の現状を知りたい。それが、私が今回このボランティアに参加した動機だった。私は今まで一度も東北に行ったことがなかったし、東日本大震災もテレビ越し、新聞越しに見聞きしているだけ。本当の「復興」とは?自分にできることとは?被災地の現状を自分の目で見て、考えたいと思った。
 実際に陸前高田に行き、まず受け止め難い現状を突きつけられた。津波の被害を受けた一帯を覆うかさ上げの土。沿岸の巨大な防潮堤。震災遺構として無残な姿のまま残された建物と、「津波到達水位」の標示。学校の校庭に並ぶ仮設住宅。語り部の方のお話は、生々しく、痛切なものだった。被災された方々の思いは、想像することしかできないし、想像を超えたものであるだろう。震災という基底を共有していない自分に、何もできない歯がゆさと無力感を覚えた。
 一転、「学びの部屋」での学習支援活動は、とても楽しく、有意義なものであった。数学や化学の問題に向き合う高校生。英単語の暗記が苦手だという中学生。どこにでもある「学び」の空間だった。生徒のわからない問題を解説してあげると、熱心に聞いてくれ、納得してくれた。勉強の合間には、中学生たちと部活や趣味の話に興じた。悩みを持つ高校生には、自分も同じような悩みを持っていた経験を話して、悩みを共有できた。どの生徒も自分なりの目標を持って勉強に取り組んでいて、寧ろ私の方が刺激を受け、元気をもらった。「学び」という共通の基底のもとで陸前高田の中高生と関わることができ、また自らのアドバンテージを活かして彼らの学びに微力ながら貢献できたことは非常に有意義であった。自分にできることは何か?という問いの解の一つが、この学習支援活動なのではないかと感じた。
 陸前高田はとてもいいところだった、ということも書き足しておきたい。立ち寄った飲食店の方は「どこから来たの?」「東京!?遠いところからありがとう」「また来てね」と話しかけてくれた。「学びの部屋」の支援員さんたちはとても親切で、中高生にどのように接したらいいかアドバイスしてくださったり、一緒に議論してくださったりした。中高生も、素直で明るい生徒ばかりだった。今まで震災という視点からしか陸前高田を知らなかったが、今回陸前高田の人たちのあたたかさに触れることができて嬉しかったし、なんだか故郷にいるような気持ちになった。

 最後に、この活動に際してご尽力いただいたUTVCE-patchの方々や、陸前高田、大船渡の語り部の方々、そして陸前高田の中高生の皆さんに、この場を借りて感謝申し上げます。

(理科一類・1年)

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