【活動体験記:陸前高田市「学びの部屋」第1期A班(2015年6月6日~6月7日)】

担当の佐藤さん。とてもよい方で、高清水展望台・カッパ淵・山口水車に連れてってくれる。ジンギスカンもごちそうしてくださる。一つ一つの受け答えが非常に丁寧な方で、どんな話をしても穏やかに笑って答えてくれた。また会いたいな。

あきちゃん、あおちゃん、ハヤトくん。会話の部分部分に「仮設」という言葉がでてきてドキッとした。しかもそのお話は面白い話として紹介してくれたのだけど、そのような中でも「あの子が仮設から出てきたときにさ・・・」というように「仮設」という言葉を普通に使用していて、震災後の生活が彼らの日常・普通になっていることに複雑な気持ちになった。

あきちゃんが「家でゲームしてるよりここにいる方が落ち着くよね。」とあおちゃんに聞く。彼らはやっぱり友達と繋がれる楽しい場として学びの部屋を利用しているのかも。

遠野からは車で約1時間15分ほど。陸前高田第一中学校は高台にあり、大きく被災した場所は最初は見られなかったが、校庭にたくさん仮設住宅がたっており、これは現実なんだと実感。実際、本当にここは被災地なの?と思うところがあったが、これは4年も経って復旧が進んだ証拠なのだとおもう。または、「被災地」というイメージや想像でつくられたものを過度に期待しすぎている自分が怖い。というか情けない。愚か。支援員の方に陸前高田市街地だった場所を案内してもらった。市街地は全て流されてしまって、今はベルトコンベアで周辺の山から切り崩した土をはこび、埋め立てている。高さ約15メートルまで盛り、最終的にはそこに道路や街を作る。津波が来たら20メートルは優に超すし、15メートルで大丈夫なのか?という声もあるという。復興まで長い道のりであり、働き口もないため、待つことができず他のところに移住してしまう人が多いという。高田第一中学校(高台にある)のグラウンドは仮設住宅が建てられたため、臨時グラウンドが下の方に。酒屋さんが敷地を貸してくれたらしい。近道だと言ってだいぶ急な山道を登る。支援員の方が何度も「ここは想像力を働かせて想像するしかないんです」という。それだけ震災前後の景色がちがうということなのだと思う。支援員は高橋さんと鳥羽さん。高橋さんによると、一中は新築で2011/3/11の午前中に落成式を行っていた。その午後地震発生。生徒全員が集まっていたためコントロールがきいた。そこから中学校にまちのみんなが避難してきて体育館や教室を使って避難生活。校庭の仮設は抽選のためみんなが周辺出身ではない。気仙中学校校長の話を聞く。

最初2時間くらいは誰もこず。開始1年目は50人くらいきて満員でにぎやかだったそう。みんな居場所を求めてきてる子がほとんどだったって。仮設にいてもどうしてもこれからどうするみたいな話になるので、学びにきて友達と会うことを楽しみに来る子が多かったんだって。だから少なくなってきてるのは、居場所がそれぞれできている証拠。あきちゃんとあおちゃんがきた。中1で同じ卓球部。小学校からの幼馴染。英語や美術をやる。美術は植物をモチーフにした左右対称の蝶々がテーマ。あきちゃんは上部分を天使、下部分を悪魔にしたいんだって。一緒に植物図鑑をみながらどんな植物がいいか選ぶ。照れながらもたくさんしゃべってくれる。とくにあきちゃんは愚痴がまざりながらも今こういうことをやってるとか何が好きとか教えてくれる。あきちゃんはとても敏感な子なんだろうな。2人が盛り上がってる時、私が二人でしゃべらせてあげようと、外を見ていたら私に話しかけてくる。わざと敬語でしゃべって私に話してるんだよってさりげなく。おしゃべりで頑固だけどいい子なんだろうなと思う。

ハヤトくん(高2)が来た。岩手大学の教育学部に行きたいらしい。将来の夢は小学校の先生か、保育園関係、ディズニーランドで働くことなんだって。子供が好きなのかな。とても勉強熱心で優秀。どんなことを言っても笑顔で受け答えしてくれる。

お昼。みんなで同じ時間に食べる。あきちゃんとあおちゃんがトモヤやらなんやらの武勇伝、友達の恋話など中学生らしい話をしてくれる。小学生や中学生の上下関係事情など。大変そう。震災があった後でも、イジメはあるんだと思ってしまった。震災にくらべたらちっちゃいイジメとかはないのかなと思ってしまった。石田くんによると、震災がった頃彼らはまだ幼かったからこの生活が普通という意識なんじゃない?とのこと。先生についての噂あれこれ。

午後。鳥羽さんが作ってくれた数学のテストの勝負を機に打ち解け始める。
普通の子供達だなとふと思う。でもハヤトくんが中学生になった時に震災が起きたので、みんな出て行ってしまい同じ学年の子がとっても少なかったらしい。地学を一緒にやる。私もほとんど忘れてたので一緒に調べて勉強する感じだった。あきちゃんは石田くんと英語。読み方が難しく、外国人意味不明とずっと言っていた。でも楽しそうだった。

帰る時みんな見送ってれた。あきちゃんは私に「じゃあな優しい大学生」といい、石田くんには「平凡な大学生」と言っていた。本当に温かい時間だった。なにもできてないけど、おしゃべりするのが楽しかったな。いっぱい笑ったな。

みんななぜあそこに来るのだろう。多分明確な理由もなけれどきちゃうんだろうな。

帰る時ベルトコンベアとか埋め立て地をみる。奇跡の一本松も見えた。「奇跡の一本松曲がってすぐ」などという看板や、奇跡の一本松にあやかったカフェがあり、しっかり観光地化していることにびっくり。でも、もう4年も経つもんね。これでいいのかも。絶対最初は賛否両論があったはず。原爆ドームでもなんでも、戦争遺構や災害跡で観光地化しているものはいっぱいあるけどどれにもきっと賛否両論の時期があったんだろうなと思った。石田くんが相馬ボラにいったとき聞いたらしいけれど、「忘れられるほうが怖い」と。観光地でもなんでもいいからとにかくきて、覚えていてほしいと。観光にきてお金を落として行ってくれるのもありがたいし、と。それがみんなの声で、私なんかが偽善者ぶって頭だけで考えてることなんか何にもならないことを実感。

あきちゃんあおちゃんはやとくんをみて私も頑張らなきゃって思う。彼らは頑張っている。私も一緒に頑張りたい。本当にありがとう。

(文学部・3年)

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