【第2回スタディツアー活動報告 (2015年8月1日~8月4日】


「被災地」という一言でまとめられるほど現場の状況は単純なものではなく、様々な問題が複雑に絡み合っているということを痛感しました。津波による被害も同じ岩手県内でも全然違うし、被災された方もされていない方もいます。それぞれ立場が違って、対立するのは当然です。しかし、いずれは白黒つけなければいけないときがきます。どのように歩み寄り、限られた時間で合意を形成してくのかという問いに答えていくのは本当に難しいことだと思いました。
 被災地の外にいる自分が復興の為にできることとして、このツアー期間中に感じたことを忘れないこと、これからも、自分が震災当時にその場所にいたら、と仮定して考えること、被災地にただ単に「遊びにいくこと」しかないのかもしれません。東日本大震災の復興に直接はつながらないけれど、自分の暮らす場所で地震や津波が起こったときにどうするか考えたり、自分の大切な人たちがどうするか、話して共有したりすることを実践することが、大切な人、そして自分の命を守るために必要なことなのだと思いました。

(文学部・3年)


「もし自分だったら」を考えることの重要さ。「もし自分だったら」を考えて相手の気持ちを考えることの重要さ。東北の復興に関わってゆきたいと思うなら絶対にこの意識を強く持たないといけないことを実感させられた。でもこの「自分だったら」は、美談ばかりではない本当の被災地の状況を知らないと考えられないし、悲しい事実だけど残酷なお話で心に衝撃を持たせる、つまり被災された方の悲しい話を利用しないとそのような意識になれない自分の弱さに直面した。今まで何もしてこなかった自分に、どうしてそう無関心でいられたかに驚くし、今回、陸前高田、大槌、大船渡と実際に状況を見てきて再び罪悪感が増した。本当に何とか力になりたい。そのためにはこの気持ちを風化させないこと、東北と何らかの形で関わり続けること、日常生活の中でも、東北のことを考えながら生きることを強く感じた。

 (文学部・3年)



・非常時の生々しい現実。
東日本大震災では、法律のような日常を支える制度はほとんど役に立たなくなり、一人一人の役割が重要になることを痛感した。勿論、想定して大まかに法で規定はされていたにしても、イレギュラーなことの連続で、そうした状況で個々人がどうリーダーシップを発揮し、周囲の人と協力するか、利己的に行動してしまうかはっきりしてくる。
また、首長でも一市民でもリーダーシップは発揮できると感じた。遠野市長本田さんが、行政のトップとしてマクロな支援活動を行っていたのと同様に、箱根山テラスの吉田さんは自分が被災しながら被災地域で復興に向けて活動していた。
自分が災害の当事者になったときのための教訓としては、そのとき自分がどんな立場にあるとしても建設的な方向で活動することはでき、生死がかかった非常時にこそ恐怖に流されるだけでなく自分の頭で考えて行動する必要があると思う。

4年経って震災の問題が発生当時とは違う様相も見せつつある。
 未だに、仮設住宅に住んでいる方がいたり街の再建が進んでいないことも重要な問題。しかし、そうした問題には単に被災だけでなく、高齢化や人口流出といった、日本の多くの地方が抱える根本的な問題も大きな影響を与えていることは忘れてはならないと思う。

・「被災地」の中の多様な現実。
 「被災地」と一括りに呼ばれる地域も決して一枚岩ではないということも忘れてはならないと思う。原発の有無、仮設住まいか自宅住まいか、語り部と必ずしもそれを良く思わない住民の方々など、複合的な要因によって「被災者」間が分断されていることも重要な問題。今後は災害対策としてハコとしての復旧を行うだけでなく、メンタル的なこと、コミュニティのつながり再興も重視するべきことだと思う。

・自分たちにできることは何か。被災者の方々にとっては今でも被災の影響があることを想像しないといけない。でも、「被災地」として見るだけでなく、「観光地」として訪れるべきでもある。
詰まる所、自分と違う境遇にある人に対して思いを馳せること、完全にその人に成り代わることはできないにしても、「もし自分がその立場だったら…」と想像しようとする姿勢を持ち続けることが大事だと感じた。そうやって頭の中で考えるだけでイメージしきれないことは、実際に見聞きしてリアルなものとして肌で感じることがいかに大きな力を持っているかツアーでした。

(総合文化研究科・修士1年)


 自分の想像していた以上に復興が進んでいないように感じた。各地域で復興途中に様々な問題(若者の働き口がない、行政と住民の協力が上手くいっていないなど)が生じ、ただハード面を元に戻すことが復興と言えるのか、というような問題を肌で感じることができた。また、震災当初の話も想像以上に酷くその大変さを再認識した。そんな中、自分が一番感じたことは、前を向いている人が多いということだ。ただ震災以前の生活に戻ればよいというわけではなく、何かプラスアルファを付けに行こうとする人が多いように感じた。これはもしかすると今回出会った人達が特別なだけかもしれない。しかし逆に、他の方々がそのように思っていないとも限らない。被災地の方々の心の復興の重要性が今スタディツアーでも再三取り上げられたが、大槌町の方々が震災当時を思い出すから語り部ガイドをよく思っていないという話から、もしかすると被災地の中には実際には前を向いて行こうとしている人も多いのに、外部の人間がいつまでも震災を引っ張っていることがその妨げになっている可能性もあるのではないか、とまで思ってしまった。被災地の方々と外部の人間との心情の差を認識することは、被災地を理解し、その上で行動するためにとても重要なのではないかと感じた。外部の人間としての関わり方も再考する必要があるのかもしれない。
 個人的には、将来的に福島に関わっていくために、復興を考える上で福島と岩手の共通点や差異を考えていきたいと思う。

(文化三類・1年)


参加したきっかけは大のHPをみてたまたま見つけたからで、被災地が現在どんなふうになっているのか見てみたいというくらいの軽い気持ちしか持ち合わせていなかった。もちろん被災地の現状について詳しい情報を持っていたわけではないし、被災地に対して抱いているイメージも「苦しい状況に置かれながらも明るい未来をめざして復興を続けている人々がいる」程度でしかなかった。
実際に現地に足を運び惨状を目の当たりにすると、自分の考えがいかに浅はかであるか思い知らされるばかりだった。現地の人たちは前向きな人々だけではなく、震災のあまりのショックに無気力になっている人、果てには被災地を見学しにくる外部の人を快く思わない人までいた。津波で破壊された町が新たな一歩を踏み出すのに積極的な人もいればそうでない人もいる。それぞれの人に町の再建に対する考えがあり、それがバラバラである時、「復興」とはいったい何なのかという疑問が浮かんできた。
「復興」とは何かについて考えているとき、精神的な面、物理的な面にわけて考えられが、これら二つの側面は完全に切り離されるものではなく相互にかかわりあっているのだと思う。あくまで自分の考えだが、精神的に前向きになれれば復興計画も前進し、復興計画が進むことは精神的に前を向く助けになる、というように相互に資するものでどちらかが欠けてはいけないものである。この精神的な面・物理的な面での復興をどのように進めていくか考えることが今後の課題になるのだろう。今後も定期的に足を運び現地の様子を自分の目で確かめていくことが必要だと感じた。

(法学部・3年)  

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