スタディツアー活動報告 2015/2/27(金)~3/2(月)

陸前高田でのスタディツアー (2月27日(金)~3月2日(月)) を無事に終えました。
http://www.u-tokyo.ac.jp/public/recovery/vol_03_bosyu_studytour_2702_03_j.html

3泊4日のスケジュールで、岩手県遠野市での後方支援のお話や、陸前高田市で地域コミュニティ、商業、漁業、農業に関する様々なことを学びました。

活動の写真はFacebookをご覧ください。
ここには1日目~3日目の参加者の感想をひとつずつ掲載します。

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【1日目~遠野市総務部防災危機管理課】

ほぼ初めての東北、初めての岩手・遠野の地に降り立って初日。今日は、行政(より正確にすれば基礎自治体である遠野市)がどういった姿勢で震災に接しているのか、その意味における現場に触れることができたと感じる。つまり、遠野市は震災時には「後方支援活動」に迅速に取り組むことができた。そして今ではその記録を検証しながら、他の自治体や後世に伝えてゆこうとしている。

後方支援活動に関して総務部長から話を伺ったなかで、なるほどと納得がゆくもの、また自分に新たな視座を示してくれた内容があったので、それをいくつか挙げたい。

第一に、遠野の支援活動は決して偶然や奇跡などではなく、遠野という地域の特徴や用意周到な準備の上に実現したということだ。地図を一目見れば遠野が要衝を結ぶ恵まれた地点にあることが分かるし、地質学的にも自身に弱い土地ではない。もちろん、この東日本大震災は“初めて”だったわけではなく、過去にも同様の支援を行い市民の間に一定の理解が広がっている。避難訓練がきちんと実施しているし、何よりも決断を行う市長に危機管理の強い関心があった。ここまで条件が備わっているのかと、驚かされると同時に、納得もゆかざるをえなかった。

第二に、市長の姿勢にも現れているが、法は時に現場を把握して切れず、人に「ルールを超えた決断」が求められていることだ。そして第三に、職員300人で市民3万人に対応しきれないため、「自分の命は自分で守る。難しければ地域で」という発言が印象深かった。

あるべき地域コミュニティはどのようなものだろうか。第三の問について考えは尽きない。絶対正しい答えが存在するとはもとより考えられないが、私個人としての一つの答えを示すことができればいいのだと思う。

(法学部・4年)

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【2日目~語り部・りくカフェ・ 未来商店街】

今日は実際に被災地を目で見て、語り部さんをはじめ被災された方々の話を生で聴くことができたので衝撃が大きい一日だった。

やはり、まず自分の防災意識が低いことを思い知らされた。実際にここまで津波が来たということを自分の目で見て避難所に指定された市民会館が機能しなかったことを聞いて、家族を探すことの大変さ、家族と一緒にいられることの大切さを聞いて実感した。そこまで真剣に想像してみたことは恥ずかしながら今まで無くて、帰ってすぐ実践しようと思った(避難所の確認など)。備えが大事ということはよく言うけれど、備えていても形だけではだめで、実感を伴う必要があると思った。防災の点では前の教訓を生かすことも大切だと今回の教訓も次に生かそうとなさっていることを強く感じた。「被災」という言葉も印象に残った。

もう一つのポイントはやはり復興とあったが、いたるところで被災者の方々の“覚悟”を感じた。大変な中で自ら動いていかなければ人も動かないと思い、リーダーシップをとった釘子さん、生き延びた人の健康を真剣に考えるりくカフェの人たち、もめ事も想定して自分たちで一丸となって街づくりを進めていこうとなさっている未来商店街の方々、どの方たちも「必死で生きていかなければならない」という覚悟に基づいての行動なんだと強く感じた。

復興の中では、私は若者のかかわりや流出についてとても興味をもったし、考えなければならない問題だと思った。それはおとといまで高田一中で学習支援ボランティアをしていたことも影響していると思う。復興というのは、要は“未来”を形作ることであるが、未来を担っていくのはやはり若者となっていくわけで、若者が街にいればとてもいい影響があるし、反面流出してしまうと街にとってはかなり大きな打撃であると思う。若者が魅力的に思える街づくりも必要だし、若者がずっと町にいることが必ずしも良いとは思えず、一旦町の外に出てきてまた戻ってくるのがいい効果があるのではないかと思ったし、その街で生まれた人たちだけでなく外部から来る人たちを受け入れる体制をある程度整えなければならない。こう並べてみると、若者という観点だけでも様々に考えないといけないことがあるんだと思う。

昨日、今日といろんな観点から震災を見てきて、新たな発見もたくさんあるし、共通してつながる所もかなり見えた。明日は農業や漁業という視点で見れるので、そこでも今までとの共通点や違いを見つけていければと思う。

(文科一類・2年)

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【3日目~佐々木商店・神田葡萄園・満福農園】

本日は、まず佐々木商店でカキの養殖体験と試食をさせていただき、震災からどのように立ち直ったかのお話を頂いた。その後、神田葡萄園、満福農園に移動し、今度は農業の立場からの震災時のお話を頂いた。

今日感じた震災復興の負の側面として、情報の扱い方が正しくなかったために被害が大きくなったと感じられたことである。神田葡萄園において、津波警報が出ていたが今までのことを考えると被害は今回も出ないだろうと考えた、とおっしゃられていたように、震災前までの津波警報の不正確さが、今回の震災においても被害を拡大する方向に影響を与えたのではないかと感じた。

一方、正の面としてはいくつかの発見があった。まず、かきの養殖やブドウ農園などのように、地元の若者が震災復興に大きく携わっている点である。市にどのように人を呼び寄せるかが度々問題となっているが、そのためにはターゲットにとって魅力のある街にならなければならず、地元の魅力をよく知る若者の力が必要となる。若者の数が十分ではないとは思うが、ごくわずかでも残った人が必死で努力している点が印象的だった。また、自然界の復興のスピードが想像以上にはやく、三陸の自然の強さもひしひしと感じたと同時に、人工的なものはまだまだ整備が間に合わず、問題が山積みであるとも思い知らされた。

今度の課題について印象に残ったことは、まず震災遺構をどのように残すかが非常に難しいことである。行政としては、新しい街づくりの為には撤去したいと思いと、震災を風化させないためにも残したいという思いがある。また、遺構としてどのように残すかという点においても「一部でいいが位置情報についても教えるべき」といった意見や、「建物全体を残すべきだ」という意見もある。このように、様々な問題が複雑に絡み合っているため、全員にとっての最適策を探すのが非常に難しくなっているという印象を受けた。もう一つは“あたり前のことがいかに幸せかを認識する必要がある”というブドウ園の方のお蔭である。震災で生き延びた方々が、周囲に最も伝えたいと言えることであると思うが、口伝えではなかなか伝え難いため、伝えるのが難しいと考えた。

(工学部・4年)

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